幸せとは

妻の話が多くなって恐縮なのだが、妻が上海に来てからしばらくたつ。

妻は、初めての中国生活ということで、いろいろなところで苦労をしている。

妻が苦労を口にすると、私には「結婚したおかげで、来たくもないところに来てしまい苦労している。」と聞こえて、責任を感じてしまう(実際はそんなことを言っているつもりは毛頭ないと思うが)。

フォローのために、私は、「家も日本では住めないようなところだし、一緒にそれなりに良いレストランやバーに行ったり、ある程度上流階級の暮らしをしているじゃないか。良いことも多いだろう。」というような発言をしてしまう。中国でも上海は、街の雰囲気や便利さが最も日本に近い地域なのだ。「ほかのところに赴任している奥さんに比べればましなほうだ。」と主張してしまう。

妻はそういう私の発言を聞くと、「ほかとの比較は意味がない。中国語も良くわからないところにいきなり放り込まれた気持ちがわかるのか。あなたがいきなりアラブへ放り込まれたら私の気持ちがわかるだろう。あなたは中国語がわかるし、中国人の血を引いているから、私の気持ちはわからない。妻の苦労に関して理解がない夫め。」と反論する。

しかし、私は苦労していないのか。と考えると、それはそれで苦労している。例えば朝早くから夜遅くまで仕事をしてしんどいし、中国語ができるからといって、何もかもがハッピーでうまくいくわけではないのだ。逆に中国語がわかりすぎるがゆえに発生する苦労も多い。そうなると、「妻のように働かないで語学学校の学生をやるような境遇がうらやましい。自分の苦労ばかり主張して、夫の苦労に理解のない妻め。」と反論してしまう。

しかし、改めて考えると、お互いがお互いの幸せや苦労を分かち合うことこそが大切なのである。それが誰のせいかとか、どちらが楽かとか、どちらが苦労しているかとか、そんなことをお互いに主張しあっても何の意味も持たない。

生きている以上、いいこともある、悪いこともある。幸せもある、不幸せに感じることもある。

でも、それら全部を含めて夫婦なのであって、私たちは夫婦になれたことやお互いが出会えたことに関して絶対的な幸せを感じていれば、場所がアフリカであろうが、木星であろうが、そんなに関係ないのだ。

二人はであっていなかったら、今こんな問題でうじゃうじゃ悩む必要もない。でも、出会っていなかったら、今の幸せはないな、と思う。

だから、今のこのうじゃうじゃした問題は、やはり「出会えたことの幸せ」の上に成り立っているのだ。

やはり二人の原点には幸せがあるのだと思う。お互いをもっと理解してお互いをもっと尊重して、少しずつ歩いていこう、ということだ。おててつないで。
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by dubian2.4 | 2005-01-31 02:17 | 上海生活や仕事
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