夫婦はきれいごとですむか、という話

本日も興味深いコメントをいただいた。非公開なので、文章をそのまま載せるのは書いていただいている方によくないので、概要を下記に示す(先日の飛行場の件は、あまりに的を得たご指摘だったのでそのまま載せさせていただいたがあくまで例外)。


               ↓コメント概要↓
妻、妻、というが、暗に「自分は幸せです」と言っているようでうそくさく、気持ち悪い。
実際の夫婦というのはきれいごとばかりで済んでいる人などいない。
ブログそのものは楽しく読まさせていただいています。

               ↑コメント概要↑

まず、「ブログそのものは楽しくよまさせていただいています」というフォローをありがとうございます。やはり、フォローがあると精神的にも助かる。

で、私は幸せか、という点だが、現在のところ結構幸せなので、この点に関しては論議しない。暗に言わなくても、この点は大声で「幸せです」って言って問題なし(今のところ)。

問題は、「夫婦というのはきれいごとばかりですむか」という点だ。これは考えさせられる。

妻の引き合いにうちの犬を出して恐縮なのだが、ここはうちの犬を例に考えてみたい。うちの犬は結構大きいが、室内で飼っている。今私は上海にいるので実家の家族が面倒を見てくれている。

私が中学生のころに飼い始めた犬は今ではすっかり老犬だ。彼は、足が弱い。で、立ち上がるとりきむのでお漏らしをする。

ほかにも、自分の寝るはずの座布団の上でうんこをしていたりしている(座布団はその後消毒洗浄)。

犬は2年ぐらい洗っていないのでくさい(年なので、風呂で腰抜かしたりされるとかなわない)。口臭も常にザリガニの死んだにおいがする(歯磨きすると痛がるので、しない)。

犬は夜も室内で寝ているため、毎朝家族は、夜中に犬が家中にお漏らしした尿をふき取るのが日課となっている。

一緒に暮らすだけでも、本当に大変だ。母は「動物を飼っているせいで、一緒に住む人間の生活水準が下がってしまった」と言っている。

上記を例として考えると、ペットである犬ですら、きれいごとで済まされないことは多い。人間はペット以上にきれいごとで済まないことが多いと思う。

私の亡くなった祖母は、末期は病院で食事も取れなかったので、祖父は見ていてつらかったと思う。看病も、みなでしていたが大変だった。

やはり、きれいごとで済んでいない。

つまり、誰かと一緒に暮らす、人生を分け合うということは、きれいごとで済まないのだ。だから、「きれいごとで済んでいる夫婦などいない」という意見は的を得ていると私も思う。

ただ、まあ、そういうものなので、それでいいんじゃないかな、と思う。そのときは大変だろうが、
先のことを考えすぎて今の幸せを放棄するのも、少しもったいない気がする。

結論:夫婦はきれいごとで済まないが、きれいな部分もあるので私はそれでOK。
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by dubian2.4 | 2005-03-01 00:57 | 上海生活や仕事
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