日本の謝罪と賠償

日本は賠償と謝罪をしろ。

というのは、中国や韓国の日本へ対する批判である。

日本人としては、ここで論点としたいのは、「どの程度謝罪をして、どの程度賠償をすれば彼らは気が済むのか」ということである。

私の考えとしては、謝罪というものは、そもそも自分のあやまちを認めることであるから、ある時期が過ぎたら謝罪しなくてもよい、ということはありえないと思っている。

そのため、日本は謝罪の形式や表現には注意をしなくてはならないと思うが、謝罪そのものは、半永久的に続けてゆく必要があると私は思っている。

ただし、賠償には限度がある。これは、金銭を伴うわけであるから無制限に行うことをしてしまうと、国が傾く、税金の意義が無くなる、といった問題が起きる。

幸い、中国に対しても、韓国に対しても日本の賠償というのは、これ以上行わなくてもよいことが双方の国の同意の下明文化されている。これがなければ、実質日本はいつまでも賠償を続けなくてはならない状態になっていただろう。悪く言えば、いつまでもたかられる国になってしまっていただろう。

そう考えると、日本は金銭の伴わない部分で中国や韓国に対して誠意を見せればいいわけで、これは十分行っていかなくてはならない。

例えば靖国神社の参拝や、教科書問題というのは、確かに内政干渉ではあるのだけれども、中国や韓国の意見に耳を傾けるのも日本として政治的には問題の無い選択だと思う。

それに、これを行うことによって、謝罪の問題を解決できるわけだから、万が一日本が中国などから金銭的賠償を求められた場合の予防にもなる。

私としては、謝罪はするが、賠償はしない。そして、謝罪は金銭以外のところで誠意を見せる。

これが日本政府のあるべき決断の仕方だと思っている。
[PR]
by dubian2.4 | 2005-04-22 02:18 | 上海生活や仕事
<< 日本で読んだ本 謝らないのには訳がある >>