畏れるという事

上海に帰ってきた。今回の一連の出来事では多くの方のメッセージや励ましをいただいた。本当にありがとうございました。私自身多くのことを悟ったが、そのことはまた次回書くとする。

さて、日本に帰ると日本のメディアに接することも多くなり、ついつい日中関係の話に目が行ってしまう。

なんとなくいくつかの記事を読んで私が思うことは、「多くの記事は、日本のものさしで中国をはかっている」ということだ。

中国人と日本人は顔が似ている。しかし、中国と日本はまるで異なる国だ。

中国は共産党の一党独裁であり、メディアも強力な規制がかけられている。インターネットの掲示板など、共産党の3文字が入っていればそれだけで送信しても自動削除される。三権分立などという考え方は存在しない。

また、国土の広さも、歴史も日本とはだいぶ異なる。

だから、例えば「今回のデモが中国のメディアで放送されない」「教科書中で日本人のことを「日本鬼子(日本人の蔑称)」と呼んでいる」ということをいちいち驚く必要は無い。まずそういう国なのだ、ということを受け入れる必要がある。その上で、中国、あるいは中国人と接する必要があると感じる。

そもそも、どの国にもその国の常識があり、考え方がある。まず、他国に対する礼儀としてそれを十分に理解する必要がある。そのうえで共通点を探すことは必要だ。

そういう背景の理解も無いままに、話を続けると、必ず根本的な問題、すなわち「常識としておかしい」という的外れな、そして解決の仕様が無い議論に行き着いてしまう。常識など、国によって、特に共産主義圏と資本主義圏とではだいぶ違うのだ。

だいぶ前に、私の英語の先生が海外からの客をお茶会に招待したときに、その客が靴を脱ぐことにものすごく抵抗したことがあったらしい。曰く、「靴を脱ぐのは裸になるも同然」らしい。

相互理解には、まず相互の背景の理解が欠かせない。理解できないとしても、情報として、中国がどのような国なのか、ということは知っておく必要があるだろう。
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by dubian2.4 | 2005-04-25 22:19 | 上海生活や仕事
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