盲目が不便な理由

 一昨日から、激しい頭痛と肩こりに襲われている。

 マンションが入居準備中のため、上海に来てからずっとホテルで暮らしているが、一日三食とり、仕事もできるだけ22時以前には終わらせ、睡眠時間も5時間は確保しており日本にいるときよりはるかに健康的な生活をしているはずなのに、なぜか体調が悪い。

 そこで、仕事のあとに盲人マッサージに行くことにした。マッサージなどおっさんが行くものと思っていたが、背に腹は代えられない(というかもうおっさんなのである)。

 マッサージをしてくれたのはオバちゃんであった。話を聞くと、生まれた頃から目が見えないということで、按摩学校で資格をとりこの仕事についたとのこと。

 私は盲目の知り合いがいないし、盲人とも話したことがない。したがって盲人がどのような生活ぶりなのか分からないため、失礼かとは思ったのだが60分のマッサージの間にいろいろ聞いた。例えば、夢を見るときにはものが見えるのか、などである。

 興味深いのは、彼女は生まれたときから盲目であったため、私が考えていたほど不便は感じていないということである。彼女は目の見える知り合いが、ガラスの扉にぶつかって怪我をした話を引き合いに出して、「盲人はそういう目の錯覚によるミスはない」と言っていた。

 ただ、実家は田舎にあり、そこは車などが無秩序に走るので、結構怖いらしい。
 ほかにも工事中のところは急に穴があったりしてひやひやするそうだ。

 考えてみると、生まれた時から盲目であるなら、目が見える状態と比較のしようがないので本人が不便だと思うわけがない。例えば私たちには羽が生えていないが、空を飛べないことについて毎日の生活で不便を感じることはないだろう。それと同じことだ。

 と納得しようとしてみるが、そうではない。オバちゃんは上記のように不便をしていると言っていた。もしかしたら目が見えていたら、按摩師ではなく別の仕事をしていたかもしれない。目が見えないと、就職も難しい。不便なのだ。これは間違いない。

 では、なぜ不便なのか。もうお分かりだろう。

 彼ら(彼女ら)の不便さは、つまり、私を含めて多数の人間が目が見えることによって生じているのである。多数の人間が、目が見えることを基準として行動する結果、目が見えない人に不便が生じるのである。もしも世の中全員生まれたときから盲目なら、誰も不便はないのである。

 「盲人の目が見えないこと」が不便さを生んでいるのではなく「多数の目が見えること」が彼らの不便さを生んでいるのである。すると、私を含めて多数の人間の便利さは彼らに不便さを強いることにより成り立っているともいえるだろう。

 逆説的だが、あなたの目が見えないから不便なのではなく、わたしの目が見えるからあなたが不便なのだ。という考え方は、盲人と話してはじめて気がついたことである。

 彼女と話すことによって、なぜ、障害のある人間に対して障害のない人はケアしなくてはならないのか、その義務について、恥ずかしながら、今頃気がついたのであった。 
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by dubian2.4 | 2004-09-17 01:31 | 上海生活や仕事
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