料理はできるだけ自分で

今日、生き別れになっていた妻が上海に遊びに来た。さすがにうれしい。上海のいい印象を与えるためにがんばろう。

さて、昨日の続きだ。なぜ料理をする時間は買ってはいけない気がするか、という話である。

日本にいたころに、みうらじゅん(多分)と名前を忘れたがある芸術家の展示会に行ったことがある。テーマは「ブタくん」ということで、実にかわいいブタたちがイラストになって描かれていたり、フィギュアになったりしている。

しかし、そのブタくんたちは屠殺場に向かっていたり、肉屋さんで頭を切られている最中だったりする。皮をはがされているのもある。かわいいだけにギャップが大きい。

展示会には主催者のメッセージ描かれている。具体的な内容は忘れたが、大体こんな感じである。

「こんなにもかわいいブタ君達が、毎日毎日何百頭も無残に殺されているのです。私たちの食卓に上がるために、死んでいっています。実にかわいそうですが、私は今晩も豚肉を食べることをやめません。」

実に心に残るメッセージであった。

何かを食べるということは、生き物を殺しているということだ。そして生き物は本能的に殺されることをもっとも嫌う。それはなぜかというと、殺された生き物は生き返らないからである。

だから、私はやたらめったに食べ物を残して捨てるというのは生き物に申し訳ないと思う。

しかしなぜ、人はこうも食べ物を残したり、無駄にしたりするようになったのか。理由はいろいろあると思うが、大きな理由としては、料理の手間が省けたせいだと思う。

ライオンなどの動物が、やたら生き物を殺して食べ残しをしたりしないのには理由がある。それは捕食活動が面倒だからだ。つまり、シマウマなんかを追い回して、殺して、食べるのはめんどくさいのである。おなかが相当減っていなかったら、そんなめんどくさいことはしたくない、という訳だ。

人間も本来そうだと思う。トリ一匹をスープにするにしても、本当は首を切って、お湯につけながら羽をむしって、内臓を出して、肉を切って・・・など大変な作業を伴う。文字通り死に物狂いで暴れる生き物を殺すのは、大変だ。それに、殺してしまったものは大事に食べようという気持ちにもなる。

それが、苦労しないで食べ物だけ目の前にポンと出されてしまうと、なにか最初からそういう状態であったのだと勘違いしてしまって、無駄にしてしまう。昔は生きて走り回って、自分で考えることのできた動物たちだということを忘れてしまう。

だから、めんどくさいとか、時間を節約したいという理由だけで、料理の時間を省くのは、精神衛生上よくないかな、と思うのである。おいしい料理を楽しみたいため、他人に料理を頼む、というなら理解できるのだが、毎日そんなことをする必要は無いと思う。

仏教大学のパンフレットで、日本人にはいい習慣がある、と書いてあった。それは、食事の前に「いただきます」と言うことだ。これは、「命をいただきます」ということを指しているらしい。わたしも 「いただきます」と言うときは、命のことを少し考えることにしている。

妻も来たことだし、あしたは、ステーキでも食べに行こうと思う。

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by dubian2.4 | 2004-10-23 00:41 | 上海生活や仕事
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