私は小さいときに北京にある日本人学校に通っていたのだが、
小さいころに行った行為で、今でも後悔していることが二つある。もっとあるかもしれないが、定期的にそのことを思い出していることは二つかなと思う それを記載したい。 1)「ディズニーランドに行った事がある」とうそをつく 私が北京に行ったのが1983年だったので、ディズニーランドはその少し前に開園したことになる。 知り合いのおじさんや、父親に、いつか連れて行ってやる、といわれたまま結局北京に来てしまった。夏休みや冬休みは、日本に一時帰国する同級生も多いのだが、我が家は台湾や別の国に遊びに行くことがメインで日本に帰ることは無かった。 日本人学校の同級生数人で集まってディズニーランドの話になると、いつも私は「自分も行ったことがある」ということにして話に参加していた。「小学OO生」という雑誌が定期的に日本から送られてきていたので、そこにあるディズニーランド特集を読んで、想像上のディズニーランドを思い浮かべながらみんなと話をしていた。 結局本当にディズニーランドにいけたのは、29歳になってからであったが、いまでもそのころの情けない自分を思い出すと、恥ずかしい気持ちでいっぱいになってしまうのである。 ちなみに、いまだに私は着ぐるみが大嫌いで、そばによりたくないし、よられたくない。そのことが影響しているのかもしれない。昔の自分に会えるなら、そのうそつき根性をたたきなおしてやりたい。 2)同級生の女の子をいじめる 小学4年生ぐらいだと思うのだが、同級生の女の子で近所に住んでいる子がいた。 同じ年なのだが、何でもよく知っていて、帰りの道が同じ方向なのでよく一緒に話をしていた。というか一方的にいろいろなことを教えてくれた。 たとえばお菓子の作りかとか、何で水は凍るかとか、最近読んだ本の話とか。 私は昆虫が好きだったので昆虫の話ぐらいはしたかなあと思う。仲はよかったのではないかと思う。 どのようなきっかけかはわからないのだが、いつからかその子を私はいじめ始めた。でも彼女は芯の通った強い子で、いじめてもなかなか泣かないし、私は妹も一緒にいじめていたので姉として弱いところは見せられなかったということもあっただろうが、いじめに屈さなかった。それで余計にいじめがエスカレートした。 帰り道をブロックしたり、彼女がしてもいないことをでっち上げるなど。 なぜそうなってしまったのか、今から考えると、彼女のことが好きだったのではないかと思う。まだ女の子を好きになる時期には早いかもしれないので、好きだったということでないのかもしれないが、自分より優れた存在、自分がなりたいような存在であった彼女にあこがれている一方で、どうしてもそれを認めたくない自分がいて、いじめでねじ伏せようとしていたのではないかと思う。 その後彼女とは会えていないし、謝ることもできず、今に至る。 私が覚えているということは、彼女は私の100倍は覚えていると思う。きっと今でも彼女は世界のどこかにいるのだろう。いつか会って、話ができたらいいなと思う。
by dubian2.4
| 2005-02-17 22:51
| 上海生活や仕事
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