努力しない人々

 現在中国では国慶節という建国記念の連休中であるため、とても短い間であるが日本に戻ってきた。

 日本で行うべき重要なことがいくつがあったが、そのひとつとして本の買出しがある。早速面白そうな本、はやっている本を買いに行った。

 本屋に行くと、下記のような本が結構あり、いつもながらうんざりする。

 「聞くだけで英語がうまくなる」とか、「らくらくダイエット」とか、「あなたの潜在能力を引き出す方法」とか、「頭のよい人の話し方」とかである。

 平積みになっているので、結構売れているようだ。

 タイトルと立ち読みだけで判断して申し訳ないのだが、とにかくこれらの本は、「楽してなにかを手に入れよう」という考え方がとても強く出ている。

 しかし、考えてもみてほしい。世の中大体のことは等価交換なのだ。やせようとか、英語がうまくなろうとか、本気でそうしようと思うのなら、それなりの「努力」という犠牲を払わなくてはならない。非常に当たり前のことだ。

 また、潜在能力なんて無い。あなたにも、私にも眠っている力など絶対に無い。能力は、はじめから持っているものではなく、努力して身に着けるものだ。頭がよいか悪いかは話し方で決まるのではなくて、あなたの毎日の生活の積み重ねで決まるものだ。

 ちなみに上海に住んでから現地の書店もいくつか周ったが、そういう類の本は少ない。

 日本でこれらの本が良く売れてしまうことに対して、なにか日本の社会に病的なものを感じてしまう。

 努力して、苦労して、何かを掴み取るという発想が根本的に否定されているのではないだろうか。成功している人たちに対して、彼らは特別な何かを持っていて自分たちもそれさえ手に入れれば成功できると思っているのではないだろうか。

 以前NHKのオリンピック番組で、「私もがんばるから、愛ちゃんもがんばって」とメッセージを送った方のFAXが紹介されていたが、こういった稚拙なメッセージがいとも簡単に紹介されてしまうあたりが何かおかしい。

 オリンピック選手のがんばりと、その辺の一般人のがんばりは本来比べ物にならないはずだ。私だったら、自分もがんばるから、あんたもがんばれなんて口が裂けてもオリンピック選手に言うことはできない。

 こんなことが言えてしまうのは、みんな苦労や努力は同じ、でも優れた人たちは、ほかの人と違う何かをもっている。優れた人と自分との違いはそれだけ。だからそれさえ持っていればきっと自分も優れた人になれるはず、という発想があるからだ。

 だから、突出した能力を持つ人間に対して、彼らの行ってきた異常なまでの努力に関して注意を向けずに、それ以外の何か、に関して興味を示してしまう。なにか、能力を得るコツみたいなのがあって、それさえわかれば自分もできるのではないかという幻想を抱いてしまうのだ。

 要するに社会にハングリーさが欠如しているのである。社会に「汗まみれ血まみれになって能力を獲得する」という発想が、少なくなってきているのであろう。
 
 エジソンは言った。

 「天才とは99%の汗と1%のひらめきだ」と。

 能力を身に着けようとしたら、努力に勝る栄養は無い。私は怠けがちの自分に対しても反省の意味をこめて今日のブログを締めくくりたい。


 ちなみにあした中国に帰る。なんでこんな短い期間に帰ってきたかって?
 そりゃ、妻に会うためですよ・・。でへへ・・。すみません、のろけて。
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by dubian2.4 | 2004-10-06 02:11 | 上海生活や仕事
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