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幸せを比較するということ

大連に来てしまった。出張はしんどいが、飛行機で読書できるのでそれがうれしい。 

昨日、上海に日本から派遣されている大手メーカーの平社員なら、大体年収700万円ぐらいじゃないかと書いた。

すると、非公開でコメントが入っていた。このページはアクセスがそんなにないのでコメントしてくれる人は少ない。コメントを書いた本人が非公開なので、あえてここでその内容を全部公開しようとは思わないが、大体下記のような内容だった。論調もなぜか大阪弁である。

「ガキが上海で高い年収もらっていいところに住んでイキってるな。たまたま中国語とかなんか外国語できるだけやろが。」

本当は今もっと別のことを書きたかったのだが、少し感情的なコメントだったので、これについて今日は考えたい。

私の年収はもちろん会社の情報なので、いえない。日本にいるときよりかは手当てがあるので上がった。住んでいるマンションがいくらかかっているかも、会社と賃貸業者との契約の価格なのでここで公表できない。

ただ、あえて言いたいが、私のマンションにはプールがある、サウナもある、ジムもある、広さも結構あって32階に住んでいる。賃料は全部会社が払ってくれている。

それでどうしたというのだろう。それで私は日本にいるときの何倍も幸せになったのだろうか。私は上海に来るおかげで愛する妻とは結婚翌日に生き別れになり、毎日忙しく、仕事のプレッシャーに加え優秀な人たちの中で自分がなにか間抜けな発言をしていないかというほかの人にはないプレッシャーを毎日感じ、そのプレッシャーのおかげで頭がハゲやしないかと心配事がひとつ増え、狭いところが嫌いなのに毎週のように飛行機に乗らなくてはならないような毎日を送っている。もちろん忙しすぎてサウナもプールも行けたためしがない。

また、日本に帰れば給料もさがり住むところも探さなくてはならない。

人それぞれ事情があるものだ。

でも私は総合的にみて自分は幸せだと感じている。それは年収やマンションの問題ではなくて、自分でそう思っているからだ。自分がこうやって生活できることを家族、妻、友人知人、国など色々なものに感謝している。

幸せに関して他人と比較をしてはならない、と思う。上には上がいる。権力ひとつで私を虫けらのように扱える人だってごろごろしている。

大切なのは、何が自分にとって幸せなのかをちゃんと自分で知っておくことだと思う。

だから、私は自分を不幸な人と比較して幸せだ、とは思うようなことはしないし、お金持ちや自分より境遇のいい人と比較して自分を不幸だと思ったりしない(ように努力している)。ねたまない(ように努力している)。

駅のホームで毎日新聞を回収している少年がいる。朝電車で新聞を読んだ人から回収してあとで古紙として売っているのだろう。私はいつも月曜に一週間ためた新聞を彼に渡すが、彼はめちゃくちゃ幸せそうに受け取る。それはその瞬間、彼が思っている幸せに近づいたからだ。それでいいと思う。安い金でうれしそうに、などとは思わない。境遇の差があっても私も幸せについてのスタンスは彼とそんなに変わらない。

あと、念のために言っておきたいのだが、私がいつも食べ物を残すのはもったいない、といっているのは別に貧しい人に申し訳ないからではない。少しはそういう気持ちがあるが。

ただ単に、ものを食べるには生き物を殺しているのだから、死んだ生き物は元に戻らないのだから、簡単に残すものではないという気持ちで、もったいないと言っている。

幸せは、自分の頭の中で作られる。他者との比較ではない。だから他人の境遇を見て怒ったりねたんだりするのは、精神の無駄遣いだと思う。幸せを知ることは、自分を知ることでもある。

文章が長くなってすみませんでした。
by dubian2.4 | 2004-10-18 01:47 | 上海生活や仕事
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